月桂冠株式会社 醸造部 大手一号蔵醸造グループ グループリーダー 阪本 充 氏
豊臣秀吉の世から江戸時代にかけて、大阪と京都を結ぶ交通の結節点かつ宿場町として栄えた伏見の町。平安時代から伝わる酒造りの手法と豊富な地下水に恵まれ、旅人や物資の往来が盛んなその地には古くから酒産業が発展し、1657年には83の酒造家が存在していたとされる。そんな京都・伏見で最も歴史ある酒造メーカー月桂冠株式会社(以下、月桂冠)は、創業1637年。伏見の酒を今の世に伝えながら、日本酒業界のイノベーションを牽引してきた。
月桂冠醸造部大手一号蔵醸造グループのグループリーダー 阪本 充 氏によると、伏見酒の特徴は「ほんのりと軟らかい、甘みを持った日本酒」だそう。仕込み水は50~60ppmの中硬水。「酵母が良好に発酵しやすく、ほどよいキレを生む」という。仕込みの最後に蒸米を加えて天然の甘みを付与する「四段仕込み」も、伏見酒の特徴のひとつだ。「京都の宮廷料理と共に発展してきたためか、京料理に合うスッキリ洗練された味わいがあります」(阪本氏)
時は江戸から近代へと移り、月桂冠は業界トップクラスの酒造メーカーへと発展を遂げた。その立役者とも言うべき人物こそ、第11代目当主:大倉 恒吉氏、現在の「月桂冠総合研究所」の前身である「大倉酒造研究所」を創設した人物だ。
大蔵省醸造試験所の技師 鹿又 親(かのまた・ちかし)氏と親交が深かった恒吉氏は、科学技術にいち早く注目し、1909年に日本酒メーカーで初めて研究所を創設。初代技師に東京帝国大学卒の濱崎 秀(はまざき・ひで)氏を迎え、本格始動した。その後、同研究所は「防腐剤なしのビン詰酒」の商品化に成功するなど、日本酒業界に大変革をもたらす成果を挙げた。
月桂冠総合研究所へと名を改めた同研究所は、麹菌や酵母、固体培養など日本酒に関する研究開発にまい進し、数々の画期的な商品を生み出してきた。最近では、酵母研究の強みを活かした商品「果月」を開発。研究所に蓄積されたデータに基づき独自の酵母を選別し、製造工程に工夫を加え、日本酒でありながら桃、メロン、葡萄といった果物の香りを持つ日本酒を生み出した。
第11代目当主:大倉 恒吉氏
「防腐剤なしのビン詰酒」の商品化
画像提供:月桂冠株式会社
研究所や生産技術課の役割について語る 阪本 充 氏
月桂冠の酒造りにおいて研究所は、「酒造りを科学し、紐解く」役割を担っている。
「研究所は、杜氏の勘と経験に依ってきた酒造りの作業工程を分解し、醪や清酒を分析し、プラス面とマイナス面を探ります」と、阪本氏。例えば「吟醸香」の正体を解き明かした上で、その香りを出すために「どの工程で何をすればよいか」を判別する。さらには分析結果を数値化し、再現性を高めていく。
阪本氏は、「規模の大きな製造で安定した酒質を保てる要素のひとつに、研究所や生産技術課をはじめとした品質管理部隊の存在があります」と語る。酒質の共通項は、「飲み飽きしない、ほんのり甘くスッキリした口当たり」。安定した品質のお酒を全国どの場所にも、どの時間軸においても届ける――膨大なデータに基づく分析に裏打ちされた品質管理を徹底する月桂冠だからこそ、発揮できる価値と言えよう。
同社は、容量のバリエーションを含め700~800種類もの幅広い商品を揃えている。そして「それぞれのお酒には、それぞれのゴールが定められています」と、阪本氏。ゴール、すなわち同社で設定している香味定義を軸に、それに向かってエキス分やグルコース値といった規格値が一定範囲になるよう、規定されているのだ。同氏が「酒質設計と品質管理を担う研究所・生産技術課チームが、代々『月桂冠の味』を守り、伝えてきた」と語る所以だ。
そして、「品質管理部隊が指揮者なら、醸造部隊は演奏者」という。「私たち醸造グループには、原材料に多少のブレがあっても定められたゴールに向けて仕上がりの品質をそろえられる技術があります。自ら設計した酒質を実現する杜氏の仕事の魅力も理解できますが、当社の酒造りには『どんな球が来ても狙い通りにゴールを決める』面白さがあります」
同社では、“指揮者”が求める品質を実現すべく、「現行の酒質のブレンドで実現できるか?できないなら醸造グループで作ってみよう。研究所でも開発してみよう。開発できたら醸造グループで再現性を追求してみよう」と、分析力と技術力の両方を駆使して商品開発を行っている。
同社の大手二号蔵には、各5トンの米を処理できる14本の浸漬タンクが並び、仕込み現場にはなんと160本もの醗酵タンクが並ぶ。機械装置の規模も桁違いで、1時間に4トンの米を蒸せる蒸米機が2台、麹を作る製麹装置は6トン用の装置が6機設置されている。
「規模の大きい蔵だからこそ、醸造リーダーは何よりも安全を最優先にしています」と阪本氏。「きちんと使いこなせば機械は必ず結果を出してくれます。ただ、規模が大きくなればトラブル発生時の影響は増します。現場の作業者が無茶をしていないか、安全にアプローチしているか、日常的に注意深く見るようにしています」
醸造リーダーの役割は、酒質設計からその実現までの指揮を担う「杜氏」の役割といくらか異なる部分もある。大手メーカーでは、酒質設計と醸造が分かれているが、いろいろな部署が協同しながら酒を造りあげる。しかし、阪本氏は「原料、醪、完成品としての酒への眼差しは、杜氏も醸造リーダーも同じ」と強調する。「機械設備の特徴と原料の状態を自らの感覚で把握し、この機械でこの米を蒸せば、これくらいになるだろうと予測しながら調整する」という。
杜氏にも醸造リーダーにも、観察眼が求められることに変わりはない。
「微生物が相手の仕事だから、全工程で『観る』ことが重要になります。単に『見る』のではなく『観る』。2017年に京都市伝統産業技術功労者『京の匠』に認定された大滝義則さんも、『麹、醪の情報を観察、洞察せよ』と仰っていました。大事なのは、対象を観察して気付くことができるかどうか。これは、酒造りだけでなくどの職業にも共通することではないでしょうか」(阪本氏)
醸造部隊の観察眼もさることながら、やはり品質管理部隊なくして同社の強みは語れない。「醸造グループが分析チームに麹を持っていくと、翌週にはデータが揃います。改善が必要なら、蓄積された膨大なデータに照らし合わせて改善できます。例えば、麹の甘みを引き出す力の強弱を示すユニットを決める際、ユニットが不足していれば酵素を足し、多すぎたら控えて調整する。月桂冠には、目標のゴールに向けて調整しやすい条件がそろっているのです」(阪本氏)高度な分析力を誇る同社だが、分析で分かっていることはまだわずかだそう。阪本氏は、「分析項目に表れない醸造成分は山ほどありますし、変数も無限にあります。同じ分析値でも味が異なることがあり、『原因は何だろう?』と考えたり、現場担当者と工程を振り返りながら試行錯誤したりするプロセスも楽しい」と微笑む。
日本酒造りの重要な工程を表す「一麹、二酛、三造り」が完成品の酒質に及ぼす影響も、分析項目に表れにくい奥深い要素のひとつだ。阪本さんは現在、敢えて酵母を固定して「一麹、二酛、三造り」の礎を磨きなおそうと試みている。
「一麹、二酛、三造り」の礎は原料処理工程に他ならない。原料処理工程、そして酒造りの中核とも言うべき製麹工程には、フジワラテクノアートが製造した機械装置を使用している。
吟醸酒の洗米・浸漬工程には、「限定吸水洗米浸漬装置」が使われている。この装置を発案した人物は、元月桂冠醸造部の笠井 勇 氏。「手洗いの発想を活かした機械装置があればいいのだが」という同氏の発案をもとに、両社の技術陣が協力しあい、人手による作業を完全自動化した装置を誕生させた。
実際の使用感を尋ねると、「精度が高く、ちょうど良い吸水具合で仕上がります。原料処理工程の最初に行う吸水は重要なので、特に注意を払って観察します」と阪本氏はいう。
原料処理に続く製麹工程では、「回転式自動製麹装置」が使われている。当初より大手二号蔵では「回転式自動製麹装置」が使われていたが、老朽化に伴う設備更新の際にさらに進歩したフジワラテクノアート製の「回転式自動製麹装置」を導入した。
新規導入にあたっては、既存設備の弱点などを洗い出し、洗浄性・殺菌性を向上させた。改善の結果、衛生面がより強化された。「麹の菌検査をすると、一般細菌がほとんど検出されない。麹に付着した菌が原因で発生するオフフレーバーもしっかり防げる」という。
大手二号蔵に導入された6機の回転式自動製麹装置の使用感について阪本氏は、次のように語る。
「使い勝手がものすごく良い。そもそも人力で製造するには無理な量。回転式自動製麹装置を導入して圧倒的に省人化されただけでなく、湿度と温度のコントロールの精度の高さも保てるようになった」
阪本氏は、「『山田錦 純米』のような特定名称酒の麹を作るときには、突きハゼ麹になりやすいよう除湿コントロールして培養パターンを変更する」という。「機械に安定感があるからこそ、造り手は工夫ができる」という同氏の言葉から、機械装置を使いこなす技術力の高さが伝わってくる。
蒸米に種麹を散布する際、「粉体種麹供給装置 パウフィーダー」を使えば室内に種麹が漏れず、製麹装置の外側で水を使って洗浄する必要もない。よって、室内をドライに保ち、カビが発生しにくい環境を維持できる。さらには、量をコントロールしながら均等に種麹を散布できるというメリットもある。
製麹装置内部(製麹の様子)
製麹装置全景(3Dモデル)
粉体種麹供給装置パウフィーダー
阪本氏は、「醸造機器の良さは、触れたことのある人ならばわかると思うが、現場の仕事を見ていて、面白いと感じたエピソードがある。」という。
「チームリーダーが、慣れた手つきで作業をしている若手に、「美味しくな~れ、と思ってやってるか?」と話かけました。その場が和んだ雰囲気になったのですが、私の中で、ふと、分析項目に表れない成分って、こんなところから生まれたりするのかな?とよぎりました。設備や道具に触れるときの、こんな気持ちの連鎖がより美味しいものに繋がるのかもしれません。」
ハレの日のシーンに合う食中酒、あるいはプレミアム感のある進物用のお酒にぴったりな日本酒「鳳麟(ほうりん)」は、米を豊富に使った贅沢な純米吟醸酒/純米大吟醸酒だ。甘く艶やかな香りの吟醸香のなかでも、リンゴ様の香りを出す「カプロン酸エチル」ではなくバナナ様の香りを出す「酢酸イソアミル」を強化する酵母を用い、すっきりと上品なキレのある味わいに仕上げている。
「鳳麟」の製麹に関しては、「米をたっぷり使っているのだから、米の味を出さなければもったいない。吟醸酒造りの常識は突きハゼ麹ですが、味をのせたいので突きハゼ麹をベースにしながらも水分をある程度吸わせて、酵素バランスの良い麹を目指しています」と、阪本氏。そのような麹を実現する前提として、前述した洗米・浸漬工程でのコントロールも欠かせない。その年、その日の米の手触り、状態を見ながら吸水具合を判断し、蒸米機、放冷機のパラメータをきめ細やかに設定しているのだ。
※「鳳麟」の製麹は、フジワラテクノアートの「VEX方式完全無通風自動製麹装置」で行っている。
働き盛りの40~50代をメインターゲットに据えた「THE SHOT(ザ・ショット)」。
「華やぐドライ〈大吟醸〉」「艶めくリッチ〈本醸造〉」「香醇エレガント〈純米吟醸〉」「芳醇クラシック〈上撰生詰〉」の4タイプをラインアップした「THE SHOT」シリーズは、味わいのみならずリキャップできて手に収まりやすいサイズの容器にも特徴がある。普段あまり日本酒を飲まない人でも気軽に手にとりライトに楽しむことができるというコンセプトになっている。
飲みたい気分にいつでも寄り添えるように、新たな日本酒飲用シーンを開拓すべく開発された商品だ。
少子高齢化や酒類の選択肢の増加、若い世代の日本酒離れなど総合的な要素が絡まり合い、日本酒業界はマーケットの縮小に直面している。古くから日本酒業界を牽引してきた月桂冠は今、日本酒の高付加価値化や日本酒が飲まれる新たなシーンづくりを目指している。果物のような香りの日本酒「果月」や、プレミアムな「鳳麟」、オシャレなシーンに似合う「THE SHOT」は、まさにそんな商品の代表格だ。
一方で、「『つき』や『月桂冠 上撰』といった商品の強みは、親しみやすさにある」と、阪本氏。特別なシーンだけでなく、ほっとできる日常に楽しめるお酒。毎日の食卓に取り入れやすい価格帯のお酒。そんなお酒を広く届けられるのは、相応の設備と技術力を誇る月桂冠ならではと言えよう。
「年齢を重ねるごとに日本酒を美味しいと感じます。落ち着くし、ホッとする。日本で生まれ発展してきたお酒だから、日本人の体に合うのでしょう。国内市場が縮小しているとはいえ、日本酒が日本人の生活から消え去ることはないと信じています」と、阪本氏。
これからどんな日本酒を造りたいかを改めて問うと、「みんなに愛されるお酒を造りたい。『いつも美味しいと思って飲んでいるお酒が月桂冠だった』と言ってもらえることが理想ですね」という答えが返ってきた。
日本に知らない人はいない、まさに日本を代表するお酒の銘柄「月桂冠」。仮にラベルにその名が明記されていなかったとしても、酒の味わいが何よりもその名を物語っている。
画像提供:月桂冠株式会社
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