The Art of Sake Brewing (vol.4)

変化の波に乗り、挑戦の風を受け、未来の海原をゆく。

国稀酒造株式会社

北海道北西部のニシン漁で栄えた町、増毛町。雄大な日本海を望むこの地に、140年以上の歴史を刻む酒蔵、国稀酒造は位置している。創業以来、一貫して地元に根差した酒造りを大切にしてきた国稀酒造。近年は、地元産の原料米で醸す品質の高い酒造りを追求し、全国新酒鑑評会でも金賞を受賞するなど、道内外での評価が高まっている。国稀酒造の酒造りの歩みと思い、地域との連携、そして未来への展望について聞いた。


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ニシン漁と共に歩んだ歴史

国稀酒造の前身である丸一本間が増毛の地に創業したのは、明治15年(1882年)。増毛町の基幹産業であったニシン漁の隆盛と共に幕を開けた。

 

 

元は呉服屋を営んでいた国稀酒造の創業者・本間泰蔵は、明治14年(1881年)にニシン漁の権利を獲得し、漁業に乗り出した。漁場では、魚を獲る者から船を修理する者まで2030人ほどの働き手がひとつのチームとなって動く。東北や道南から集まってくる働き手たちは、漁の期間中、宿舎に泊まり込んで共同生活を営むため、漁場や宿舎では、顔合わせの宴、大漁を祝う宴、別れの宴と、日本酒が登場する場面が増えることとなる。泰蔵氏が残した手帳には、「日本酒を買って供した場合」と「自家醸造した場合」とを比較検討した形跡があるそうだ。

泰蔵氏は、現在の国稀酒造社長・林花織氏の曾祖父にあたる人物だ。「細かく計算して、『自家醸造しよう』と決断したのでしょう」と、林社長。「いろいろなことを業種ごとにメモした手帳が残されています。酒造業について記された手帳には、毎年の製造本数や価格が細かく書かれていますよ」と、泰蔵氏の緻密で真面目な性格をうかがわせるエピソードを教えてくれた。

ニシン漁が盛んに行われている増毛の海


自家消費を目的に始まった酒造業だったが、増毛町では、ニシン漁の好調にともない水産加工業などの周辺産業も盛り上がりを見せていた。「町に人が増えれば日本酒需要も増える」と見た創業者は、販売用の酒を製造するために、明治35年(1902年)、創業地から1区画離れた新たな場所に石造りの醸造所を開いた。

国稀酒造の工場や倉庫・社屋には、既存の石造りの古い建物と調和するよう改修・建築が施された。

戦後の昭和30年(1955年)前後から増毛町のニシン漁は急激に衰退し、酒の需要も縮小した。町の転換期となるその時期にも、国稀酒造は酒造業を絶やすことなく後世へと引き継ぎ、地元への貢献を諦めなかった。

 

全国が焼酎ブームに沸くなか、昭和60年(1985年)から63年(1988年)にかけて、現在の主力商品である「鬼ころし」「大吟醸」「純米 国稀」「本醸造」を次々に発売。折しも、札幌市と留萌市を結ぶ国道231号線が全線開通した時期と重なり、札幌市の飲食店との取引や蔵を訪れる見学者が増していった。札幌と稚内を結ぶ観光バスのルート上に位置していたこともあり、団体客も見学に訪れるようになった。

 

平成14年(2002年)春には、「お酒を買いに来られるお客様や見学に来られる方が楽しめるように」と、元々台所だった空間を売店に転用し、製品庫として使用していた石蔵を資料室へと改装した。「それまでは旧式の機械を使っておりましたが、お酒の引き合いも増えてきましたので、見学コースを整備するとともに、数年かけて醸造設備も新しくすることにしました」と、林社長は振り返る。

 

製造量を増やすと同時に、良質な酒を安定的に供給するには、設備投資が不可欠だった。当時社長を務めていた現会長の林眞二氏は、大きな決断を下す。


高品質を支えるフジワラテクノアートとの出会い

国稀酒造は、平成12年(2000年)頃から平成16年(2004年)頃にかけて、最新鋭の醸造設備を次々に導入していった。機械装置を選定していたときに白羽の矢が立ったのが、フジワラテクノアートだった。その出会いの背景には、こんなエピソードがあった。

林社長

両者の絆が深まったきっかけは、平成14年(2002年)、当時の国稀酒造の会長の葬儀に、当時のフジワラテクノアートの会長が参列したことだった。「岡山から北海道の増毛町まで、遠路はるばる葬儀のためにお越しいただいたので、強く印象に残っています」と、当時の会長の娘にあたる林社長は振り返る。その後も両社の交流は続き、人的信頼関係を土台に、機械装置の導入が決まった。



国稀酒造の醸造現場には、フジワラテクノアートの「VEX」をはじめ、「●」「●」「●」が導入されている。

フジワラテクノアートの機械装置の導入は、国稀酒造の酒質向上に劇的な変化をもたらした。「当社では、『佳撰』『鬼ころし』などの普通酒の麹造りにVEXを使っています」と、製造部部長の水口哲司氏。「VEX」は、吟醸酒に適した突きハゼ麹を実現するために開発された、完全無通風の自動製麹装置だ。「VEXは、伝統的な箱麹製麹法を理想とする薄盛りの製麹方法をとっています。しかも、品温や湿度を24時間自動で調整してくれますから、効率的かつ安定的に突きハゼ麹を造れます。非常に優れた機械です。そんな機械を選んだということは、『いい酒を造りたい』という思いが強かったのではないでしょうか」。

国稀酒造の売上構成比の約7割を「佳撰」「鬼ころし」「特別純米」が占めている。「佳撰」の精米歩合は65%、麹造りには「VEX」を用いるという、贅沢な酒造り。

需要増を受けて行われた設備投資ではあったものの、水口氏は、「当時の製造量からすると大きすぎる設備だったのでは」と指摘する。林社長は、「当時は今の半分くらいの製造量でしたからね。『なんでそんなに大きな希望を抱いたの?』って、他の酒屋さんに聞かれましたよ」と笑う。「希望」は現実のものとなり、酒質の向上と比例するように需要も増加。設備の規模に見合う製造量となった。

水口氏

管野氏

VEXの導入は、酒質向上だけでなく、作業効率の改善にも貢献した。製造部製造グループ課長の管野裕介氏は、「プログラム管理されているため、温度管理や手入れも自動で行われます。作業性が良く、夜間作業や土日作業が軽減され、手がかからなくなりました」と実感している。

 

北海道の北西部という立地ゆえに、機械の不具合が生じてもすぐに現地で修理にあたれるとは限らない。だからこそ、きめ細かなアフターフォローやメンテナンスの重要度が増す。不具合が生じた際の対応を尋ねると、管野氏からこんな答えが返ってきた。

「部品交換が必要な故障などは別ですが、ある程度の不具合なら、技術営業担当の下林さんが『こういうふうにしてみてください』と、遠隔で試せることを電話口で教えてくれます。

それでも対応できないときは、製造担当者につないでくれて、いろいろとやりとりしながら安心感をもって相談できるので、心強いです」。

 

 

林社長も、「フジワラテクノアートの機械設備を導入してから、だいぶ作業が楽になったと聞いています。社員の皆さんの労力を軽減できたうえに、酒質の向上もできました」と、新設備導入の効果を語る。



増毛町産原料米へのこだわりと地域愛

設備の大規模化とアップデートに向けて舵を切った2000年代初頭、国稀酒造は原料においても転換点を迎えていた。地元・増毛産の米を使用した酒造りが始動したのだ。

 

平成12年(2000年)に北海道産の酒造好適米「吟風」が誕生したことを契機に、地元農家との連携を強化。現在では、使用する原料米の6割が北海道産米、その全てを増毛町産でまかなうという、徹底した地域密着の姿勢を貫いている。初めて増毛町産「吟風」を使って醸した日本酒ができたときのことを、林社長は「感慨深かったですね」と振り返る。

北海道を代表する酒造好適米「吟風」。心白が大きくはっきりしているため、芳醇なお酒ができやすい。

増毛町で生産された「吟風」を使った商品「純米 吟風国稀」


管野氏は、「農家さんの米作りの技術の進歩と、当社の酒造りの技術向上とが相まって、より良い酒質のお酒ができるようになりました」と、しみじみと語る。「地元の原料を使い、地元で愛されるお酒を造りたい。そんな思いで、これまで引き継いできた酒造技術を向上させてきました」。

 

 

長年にわたり育まれてきた地域愛、そして地元農家との信頼関係は、国稀酒造の酒造りの根幹を支える礎となっている。


新たな挑戦、酒造りを未来へつなぐために

令和6年(2024年)、国稀酒造はまた新たな転換期を迎えている。長年同社の酒造りを支えてきた杜氏が、今年からは不在となるのだ。杜氏の経験と勘に頼っていた部分をいかに標準化し、技術を伝承していくか。国稀酒造にとって、大きな挑戦といえよう。

「当社の酒造りを支えてくれていた杜氏は、麹造りが上手く、綺麗なお酒を造るのが得意な南部杜氏でした。その味がひとつの目標となり、国稀酒造に引き継がれています」と、水口氏。一方で、「後世に酒造りを引き継ぐことを考えたとき、『この人がいなければ酒が造れない』ようではいけません」と強調する。

 

「五感を駆使した効き酒能力や意味臭をチェックする能力も必要です。しかし、酒造りの工程においてはなるだけ標準化できる部分を増やしていかないと、酒造りに従事する人が減っているこれからの時代、通用しなくなります。これからの酒造りを考えるうえで、標準化の視点は外せません」(水口氏)。

 

 

また、特定の人に依存しない酒造りを実現するには、「VEXのような高性能な機械の活用が不可欠」と、水口氏。「機械による酒造りは、データに基づいた緻密な品質管理を可能にし、誰が担当しても安定した酒質を実現できます。これは、杜氏の技術に頼っていた時代からの大きな変化であり、同時に、技術を後世につないでいくための重要な一歩でもあります」。

もっとも、酒造りの全工程の機械化が完了しているわけではなく、まだまだ標準化できる余地は残されている。今後は、「これまで杜氏の意向に沿って機械化を控えていた工程も、製造部で自由に意見を出し合いながら、ブレや非効率を解消していきたい」(菅野氏)という。

 

杜氏不在という変化は、国稀酒造にとって大きな挑戦であると同時に、新たな可能性を秘めている。「これまでは、杜氏を中心に、杜氏の指示を受けて日々の作業にあたっていました。しかし、これからは製造現場の従業員一人ひとりの意見も積極的に取り入れながら、多角的な視点でより良い酒を造っていきたいと考えています」と、菅野氏。「今年の酒造りからは、大吟醸の麹造りにもVEXを使う予定です。VEXはそもそも吟醸クラス以上の麹造りのために開発された機械ですから、うまくいくでしょう」と、期待を込める。

 

新体制での酒造りを前に、水口氏も挑戦への意気込みを口にする。「杜氏主導で造っていた時代から、我々がお互いにやりとりしながら酒造りに取り組む時代へと変化します。大変なこともあるでしょう。しかし、失敗を重ねて初めて分かることもあります。はじめから機械に抵抗を持つより、失敗を重ねながらも使ってみることが大事です。使ってみないことには、いくら良い機械があってもその良さを活かすことはできません。良し悪しの判断も、思い切り変化を加えたときにはっきり見えてきます。どんどん挑戦していきたいですね」。


北海道から世界へ

北海道で揺るぎない顧客基盤を確立した国稀酒造は、さらなる成長を目指し、未来を見据えている。

 

 

その一つが、海外市場の開拓だ。10年ほどに海外展開に着手し、現在は東南アジアを中心に日本酒を届けている。市場の反応について林社長は、「日本酒に興味はあるけれども、よく分からないという方がほとんど」と率直に語る。「だからこそ、そういう方々に日本酒の良さを知ってもらえるよう、チャレンジしていかないといけませんね」。

 世界の人々に日本酒に興味を持ってもらい、より深く知ってもらいたい。そんな思いで、台湾出身の社員を2人雇用した。英語と北京語を駆使する2人はSNSなどを利用して世界に発信多言語で情報発信している。

海外市場向けの「MARE」。

“MARE”はラテン語で「海」の意味を持つ。

海外市場向けの商品も企画・販売を開始している。増毛の海を想起させる青いビンに波をラベルが印象的な「MARE(マーレ)」は、発音しやすく覚えやすいネーミングで、海外市場にアピールする商品に仕上げた。


国内市場においても、長年培ってきた顧客基盤を活かしながら、より認知度を上げたい考えだ。顧客から支持される酒を市場に届けるための品質管理に余念がない管野氏は、「自分たちが思う『美味しさ』と市場で支持される『美味しさ』との間に乖離が生まれないよう、ブレンドの割合から保存環境まで注意を払っています」という。

 

 

「お客様の顔が見える売店という場があることは、強みのひとつ」と、管野氏。売店に併設された試飲コーナーでの反応、商品の売れ行き、営業本部からのフィードバックなどをもとに、「お客様の反応を感じ取りながら、支持されるお酒を造り続けたい」と力を込める。

増毛町の栄枯盛衰に寄り添いながら歴史を紡いできた国稀酒造。林社長は、「これからも変化を恐れず、いろいろなことにチャレンジしていきたい」と明るく話す。日本最北端の酒蔵は、地域への思いを礎に、しなやかに変化しながら歩んできた。新たな局面を迎えた今、さらなる挑戦へと乗り出している。