価値を育て、人を育て、“杜氏の里”の原風景を伝える
朝日酒造株式会社 取締役社長 細田 康 氏
[インタビュー内容]
「久保田」が誕生した1985年。それは朝日酒造にとって「第二の創業」とも言うべき転換点だった。ブランド価値の構築、人材育成、そして酒造りの源である自然環境の保全。同社は40余年にわたり、「久保田」をとりまくコミュニティを育み、人と技を育て、杜氏の里・越路(こしじ)の原風景を守り伝えてきた。
豪雪地帯・新潟県長岡市越路地区。日本酒の淡麗辛口ブームをけん引した美酒「久保田」は、1985年にこの地で誕生した。第六代社長・細田康氏は、「『久保田』の誕生が当社にとって『第二の創業』となったことは、間違いありません」と話す。
第六代社長・細田康氏
「久保田」の生みの親は、第四代社長・平澤亨氏の強い要請を受け、新潟県醸造試験場長から同社工場長へと転身した嶋悌司氏。優れた技術者であると同時に、マーケターとしての観察力と洞察力も兼ね備えていた。
「肉体労働からデスクワークへと社会構造が変わり、人々の嗜好も変化していました。時代に合った『飲みやすさ』を探るなかで、嶋さんは『すっきりとした淡麗辛口を提案しよう』と考えたのです」(細田氏)
今でこそ「淡麗辛口の酒どころ」として知られる新潟だが、かつては「濃い酒」造りに奔走していた時代もあったという。
「酒造りに不向きとされてきた新潟の米と水に、パラダイムシフトが起こりました。淡麗辛口には、ミネラル分の少ない軟水で、時間をかけて発酵させることが必要です。それまで弱点とされてきた米と水の性質が、むしろ強みに変わったのです」(細田氏)
新潟の米は、新銘柄「久保田」に欠かせない原料となり、地元農家との関係構築の重要性もより一層高まった。同社は「酒造りは、米づくりから」という信念のもと、1990年12月に有限会社あさひ農研を設立。契約農家と協力し、「五百万石」「たかね錦」「越淡麗」などの酒造好適米の栽培に取り組んできた。
山賀杜氏
「あさひ農研を中心として、減肥栽培の研究や指導会を行っています」と話すのは、自身も契約農家である朝日蔵杜氏の山賀基良氏。「肥料を与えすぎると収量は増えても米の品質が落ち、ひいては酒質にも影響します。私も契約農家として、施肥量やタイミングを学んでいます」あさひ農研と契約農家の間には、原料米調達にとどまらない知見の共有があり、30年以上にわたる共創関係が息づいている。
細田氏は、「地域の協力と豊かな自然なくして、私たちの事業は成り立ちません」と強調する。「久保田」誕生の翌年には、自然保護活動の一環として「越路町ホタルの会」が発足し、朝日酒造の社内に事務局が設置された。以来同社は、地域住民と手を携えて、水路の保全やカワニナの飼育に取り組んできた。
町内には「越路町学校ホタルの会」も発足。小中学校での幼虫飼育指導や、越路中学校新入生へのモミジ苗木配布など、自然を次世代へとつなぐ活動へと広がっている。
「モミジは全国に分布している樹木です。子どものころの原体験は何かしら残るものですから、成長してこの地を離れても、モミジを見てふるさとを思い起こし、越路の風景を守ることへとつながっていけばと願っています」(細田氏)
「久保田」の根底には、価値を育てる思想と実践がある。
「先代は『お酒は生命維持に必須ではない。それでも選ばれるのは、価値を認めていただけるからだ』と話していました。価格の安さが価値になってしまえば、企業の持続可能性は失われます。値引きをせずとも選ばれる、本質的な価値を追求しなければなりません」(細田氏)
創業精神を宿す銘柄、和紙ラベルに記された揮毫、理解ある酒販店との直接契約。品質の高さを前提に、「久保田」は一貫したブランディングによって価値を高めてきた。
「『久保田』は、単なる商品ではなく、いわば活動の総称でした。メーカー、酒販店、飲食店、そして愛飲者を巻き込んだムーブメントなのです」(細田氏)
プロダクトとして「久保田」を販売するのではない。「お店の一角に交流スペースを作りましょうよ」と酒販店に提案する、「お店のファンを増やしましょう!」と飲食店を支援する。そんな「活動」を展開するなかで、口コミが広がり、「価値の伝達の連鎖」が生まれていったという。
「久保田」をとりまくムーブメントの渦中で、追い風の時代を駆け抜けてきた朝日酒造。しかし細田社長は、「10年、15年と時が経てば、価値の伝え方も、その目的も変わっていくはずです」と、表情を引き締める。
「イベントひとつにしても、裾野を広げるのか、あるいは先鋭化させるのか。何のために価値を伝えるのかを、今一度問い直す必要があります。40年前と同じ熱量で『久保田』に向き合い、熟考すべきときだと思います」
「久保田」誕生の原点には、「幻の酒に負けない品質の酒を造る」という第四代社長・平澤亨氏の強い意志があった。それに応える形で嶋工場長は銘酒を生み出すと同時に、「幻を超える品質の酒を、幻にならない量で造る」という、もう一つの難題にも挑み続けた。
細田氏はこの言葉を、「お客様との距離が遠くならない酒を造ること」と言い換える。すなわち、品質・量・価格の三要素を両立させること。手に届く価格帯でありながら、妥協のない酒造りを追求する姿勢が、「久保田」の基盤を形づくっている。
嶋悌司氏(左)と平澤亨氏(右)
1995年4月に竣工した「朝日蔵」は、その思想を体現する場でもある。同蔵では、「久保田 萬寿」をはじめとする旗艦商品を製造。洗米浸漬設備、蒸米冷却設備、空気輸送設備など、原料処理に不可欠な設備群をフジワラテクノアートが担う。出品酒や超高級酒向けには「吟醸蔵商品群」の「吟醸甑」も備えている。
4階建ての蔵の最上階に位置する洗米浸漬室には、大小合わせて16基もの浸漬タンクが並ぶ。
「タンク数を増やし、容量を小さくすることで、浸漬ムラを最小限に抑えています。洗米速度も高め、1俵60kgを約15秒で処理します。淡麗辛口を実現するため、一気に洗米し、一気に水を切る。限定吸水で、浸漬時間が10分を切ることもあります」(山賀氏)
ここでは、精米歩合28%の高精白米も同設備で処理する。
「原料処理全体の制御精度が高く、微調整しやすいのです。浸漬段階で多少水分が多くなっても、蒸米冷却段階で水分を飛ばすことで対応できます」(山賀氏)。
蒸米冷却設備の最大処理能力は1時間1.2t。ベルトコンベア上の米は約45分かけて蒸された後、連続冷却機で冷却される。蒸米機と冷却機の間には仕切り壁を設け、温風と冷風が混ざらない構造とすることで、安定した品質管理を実現している。
「朝日蔵」ともう一つの酒蔵「松籟蔵」を合わせて、朝日酒造では約4,800kLの日本酒を造っている。
設備の高度化によって品質・量・価格の均衡を図る一方で、同社が重視するのが、人材育成と技術伝承だ。
技術の散逸を防ぎ、体系的な伝承を行うため、1992年に通年雇用の社員による酒造りを開始。1997年には若手社員が実地で学ぶ「教育仕込み」を導入し、現在では全社員が2級酒造技能士取得を目指す「朝日大学清酒学校」を受講している。さらに、新潟酒造組合、新潟県酒造協同組合、新潟県醸造試験場が共同設立した「新潟清酒学校」にも、継続的に技術者を派遣。技術研鑽と人的ネットワーク構築の場として活用している。
加えて、原料処理や発酵経過のデータを20年以上にわたり蓄積してきた。
「品質の安定、そしてさらなる向上のため、赤外線水分計や温度計の数値を取得し、データベース化しています」(山賀氏)
もっとも、酒造りは数値だけでは語れない。年ごとに気候が異なれば、原料米の性質も変わる。
「40年杜氏を務めた方が『その年の米には、その年にしか出会えない』と話していました。それほど米の変数は大きい。だからこそ、初期段階から米のデータ取得に力を入れてきました」(細田氏)
無数の変数が交錯するなかで、最終的な品質を決めるのは、数値と感性の融合だ。山賀氏が「この辺りはご覧のとおり豪雪地帯で、冬になると農家は出稼ぎに行っていました。日本各地の銘醸地に杜氏として行っていた人も多く、技術も高い」というように、越路は古くから「杜氏の里」として知られる土地でもある。そこでは、勘とコツに裏打ちされた高度な技術が脈々と受け継がれてきた。
朝日酒造では、その感覚的技術とデータを駆使して技を伝える「科学的伝承」を実践している。
「数字は感覚を客観的に伝えるうえで役立ちます。でもやっぱり、良い酒を造るには、手で触れた瞬間に温度や硬さ・柔らかさが分かるようにならないといけません。蒸米は温度を測っているあいだにどんどん冷めてしまいますし、水分量も同じですから」と山賀氏は語る。現場では、蒸米や麴に直接触れ、感覚を研ぎ澄ませながら、計測データと照合し、最適解を導き出していく。
「酒造りは、1、2年やったくらいでは分かりません。10年やっても奥深い。私も若い頃、『これはおにぎりだ。麴とは言わない』と叱られながら感触を覚えました」。そう語る山賀氏は今、次世代の育成を担う側に立っている。「手の感触を理解してもらえた瞬間や、完成した酒の美味しさに気づいてもらえたときは、やはり嬉しいですね」
淡麗辛口の美酒「久保田」は、昭和の終わりから平成、令和にかけて愛されてきた。しかし人々の生活様式も嗜好も変化するなか、「淡麗辛口」の概念すら再定義が求められている。
「守るべきものと変えるべきもの。その見極めが重要でした。過去をなぞるだけでも、壊すだけでもいけない。何をもって『久保田』とするのかを、徹底的に考えました」(細田氏)
約3年にわたる議論の末にたどり着いた答えは、「変える」のではなく「広げる」ことだった。
「若い世代のライフスタイルや情報接触を見ていると、日本酒業界で語られてきた『甘・辛』や『飲みやすさ』の定義が、必ずしも通用しなくなっていると感じました」(細田氏)
固定化された「淡麗辛口」から脱却し、新たな物差しを当てる必要があった。
では、久保田の本質とは何か。
「すっきりとしていて飲みやすく、後味のキレがよい、喉元を過ぎればさっと消えていくような食中酒。これがあれば、甘いと感じられるお酒でも、香り高いお酒でも、『久保田』の本質は失われないと考えました」と、細田氏。その確信のもと、「広げる」展開へと舵を切った。
「久保田 千寿」シリーズでは、基本となる「千寿」の他に「純米吟醸」「吟醸生原酒」「秋あがり」を水平展開し、時間経過による味わいの違いを表現した。香り華やかな「久保田 純米大吟醸」は、発売から数年で「久保田 萬寿」「久保田 千寿」に次ぐヒット商品となった。1968年の試み以降断念していた、スパークリング清酒にも再挑戦。「久保田 スパークリング」は洋食に寄りそう選択肢を提供し、飲食市場でも人気だ。「久保田 純米吟醸にごり」などの新しい味わいと共に存在感を高めている。
地域と共に原料を育て、技を磨き、人を育て、価値を伝える。その不断の積み重ねが、「久保田」をムーブメントへと押し上げ、40余年にわたり第一線に留め続けてきた。
「一人ひとりのお客様が、それぞれの『久保田』の物語を持つ。そんな世界観を届けたい」と細田社長は語る。「『美味しい酒といえばワイン』という意識が、『日本酒』へと変わる。そのきっかけになれたなら、日本酒の未来も変えられるかもしれません」(細田氏)
現在、輸出先は38カ国。現地の協力会社との協業により、海外プロモーションも本格化している。「国内の発信をそのまま持ち込むのではなく、現地の感性に寄り添った表現をしなくてはなりません。日本酒のミステリアスさと美味しさを、世界でどう伝えるか。議論を尽くし続けたいですね」(細田氏)
フォームが表示されるまでしばらくお待ち下さい。
恐れ入りますが、しばらくお待ちいただいてもフォームが表示されない場合は、こちらまでお問い合わせください。